移情閣友の会

<行事報告>孫文2013「孫文と日本」

孫文2013講演会について 講師:久保田 文次(日本女子大学名誉教授)
 孫文研究会と移情閣友の会の共同主催で開催された今年の「孫文2013」講演会は、移情閣友の会による二胡とコーラスの演奏で始まり、引き続き講演会「孫文と日本」(講師:久保田文次先生)が行われた。

久保田先生はまず恩師である野沢豊先生(戦後日本の孫文の代表の一人)が、1924年に孫文が最後に日本を訪問し神戸に立ち寄って大演説を行ったことを本にしようと壮大な計画を立てられ、2011年辛亥革命100周年に発行されようとしていたが、2009年安井三吉先生、西村成雄先生など多くの関係者による88才の米寿のお祝いの、その晩に脳内出血で倒れ、その後闘病生活を続けられましたが、大作に取り込むことが出来ないまま、楽しみにされていた2011年の辛亥革命100周年を待たずに2010年10月26日に亡くなられ、その先生の非常に悔しい気持ちに思いをはせたことについてお話された。また、お見舞いに伺った時に野沢先生に100周年行事や、宮崎滔天資料を研究していることを報告し、それは大変結構だと激励されたこと、それらが今日の講演を引き受けたことになったことを話された。そして孫文の神戸での演説、また孫文と頭山満との面会を取り上げようとしているのも、未完に終わった大著の志を継承しようと、そして野沢先生のご恩に少しでも報いたいという気持ちからですと切り出されました。

お話の内容は大きく分けて3つありました。
・調査研究中の宮崎滔天資料が示す“中国の近代化が如何に日本と密接に関係をもっていたか。”
・孫文はなぜ1924年に神戸にきて大演説を行ったのか?(孫文が疑惑を深めていた日本帝国主義に今更何を期待しようとしたのか?)
・「右翼の巨頭」と目されていた頭山満に神戸で中身の濃い話をしたのはなぜか?

久保田先生の講演をお聞きして感じたこと

 “時代や政治情勢の変化、新資料の発見によって歴史事実の解釈が変わることは当然である。”は歴史は生きているということを感じさせられた。実際久保田先生のお話は多角的・多次元的な観点からの視点を強く感じさせてくれました。

1)宮崎宮崎滔天資料が示すもの
 それは久保田先生が中国宋慶齢基金会研究中心編『宮崎家蔵:来自日本的中国革命文献』(人民美術出版社 2011年)出版への協力のため、調査した宮崎滔天遺族所蔵資料には孫文、宋慶齢、宋嘉樹、黄興、王兆銘、宋教仁、蒋介石、魯迅、陳独秀、李大釗、毛沢東、周恩来等歴史に名を残した人々だけでなく、無名の人々を含む、革命に関わった多数の人々を支援・交流の資料が数多く残されており滔天が中国近代化に如何に尽力したかを明らかにするものであること、また宮崎家の人々は孫文の革命活動以前の康有為、梁啓超等変法・立憲運動家の人々にも支援を惜しまなかったことも明らかにしている。思想的に孫文と最も近かった滔 天は、『三十三年の夢』等で孫文の思想や活動を熱心に紹介し、日本人ばかりでなく、中国人の孫文理解を大きく発展させた。滔天と孫文との交流が日本人と多くの中国人革命家との交流の道を開いた、そのことは中国の近代化が如何に日本と密接に関係をもっているかを如実に示している。
 
2)孫文の大演説の背景
 孫文の明治維新に対する高い評価は1924年まで変わらず続いていた、ソ連と提携を試みたが実際にはソ連と中国との国益、国家的利害が対立していたこと、連ソ容共、すなわちソ連との連携、ソ連の援助受け入れを計画していた孫文とソ連の間に利害や意見の対立があったこと。(これはソ連崩壊後に公開された秘密文書によって明らかにされた。)対立していた北京の呉佩孚(親米英派)を倒すために段祺瑞、張作霖と手を組む必要があった。当時日本は大正デモクラシーの時代で軍部は小さくなっていた。日本のデモクラシーに期待した孫文は「大アジア主義」演説を行った。その中で孫文の本心を代弁しているのが「あなたがた日本民族は、欧米の覇道の文化を取り入れており、またアジアの王道の文化の本質も持っています。これからのち、世界の文化の前途に対して、いったい西方の覇道の番犬になるのか、東方の王道の干城となるのかは、まさにあなたがた日本国民が良く考え、慎重に選ぶことにかかっているのです。」という言葉です。この言葉は現在の日本人が良く考えることが大事であろう。

3)頭山満との会談
 孫文は頭山を非常に高く評価していた。
 侵略主義の巨頭と言われ、実際そうとられかねない言動もあるが、公になっている言動というのは中国との友好を奨励しており、また日本人は中国に対して乱暴なことをしたり威張ったりすることを強くたしなめている。中国人の日本留学生は日本の学生よりはるかに真面目前途有望である、そういうことも言っていた。日本の対中外交政策にも批判的であった。
 
 宮崎滔天や梅屋庄吉が頭山を非常に尊敬した。『宮崎滔天全集』をみると本当によく滔天が頭山を尊敬していたことが分かる。そういう頭山と孫文との会談が行われたこと。孫文が期待した犬養は中ソ連携を推進することを恐れ神戸に来なかったが、頭山は孫文の懇願に応じて神戸迄出てきた。そして日本と中国そしてインドとの連携で、それぞれ国の許す範囲内で協力していくことを話あった。

 孫文が日本の明治維新に対して高い評価をもっていたことは、1901年には「三〇年前に日本で発生したような革命を起こし、中国の日本化を実現すること」を希望すると述べたこと。その後も「日本は第二の母国」「明治維新は革命の第一歩であり、中国革命は第二歩」などなどとの趣旨を表明していたことからも分かる。また、なぜ孫文が連ソを行ったのか?や、なぜ「右翼の巨頭」といわれた頭山満を孫文が評価し信頼したのか?ということについて謎解きのように明快に話されたのがとても印象に残りました。





移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月24日 12:45友の会活動

自分史の中の移情閣友の会活動との30年

移情閣友の会副会長 河合純子

 1976年早春、10年に及ぶカナダの大学での学究生活から米国系製薬企業に転職した夫と共に子供達を連れて日本に戻った。1ヶ月ホテル暮しをしながら家探しをしていた時に眺めた舞子の海は感動的で美しかった。東の大阪湾(チヌの海)と西の播磨灘、真正面の淡路島がこんなにも近く大きいとは!大阪南部の金剛山麓で育った私は、その風景に魅せられて棲家を即決した。30数年後の今もその眺めは、明石海峡大橋が加わって以前以上の美しい風景を保っている。

 新しい街での生活は、まず子供たちの学校生活を通して徐々に知り合いが出来、交流も始まった。移情閣との出会いも然りである。PTA活動で開館前の記念館を見学、そのご縁で会館の受付業務等を手伝う事になり、ママ友3名で手伝い始めた。当時の須田勇会長の「ここに人が集まり、日中交流の拠点となるよう友の会を結成しましょう。河合さんやりなさい!」との一声で友の会の事務局長となった。

 1984年の暮れの寒い日に友の会は発足。翌年12月に、開館一周年記念行事として「陳舜臣とアグネスの集い」を神戸国際会館大ホールで開催、素人集団の無謀な興行であったが、多くの参加者を得て成功裏に終えた。明石海峡大橋の建設に伴い仮設展示場に移っても友の会の諸活動は活発であった。

 1995年の震災後は、岡山県作東町との交流で町のふるさと祭りに「神戸移情閣の店」を出店もした。友の会発足当時からの前半15年間は、中国語講座、公開講座、バス旅行、移情閣まつり等にも多数の参加者を得、同好会活動も次々と誕生した。「孫文の足跡をたどる」中国旅行にも毎年20数名が参加、交流の輪を大きく広げていた。自分史の中でも40代から50代のこの頃は、「友の会」の仕事が主婦としての「家事育児」や自宅を開放しての「河合英語塾」や、我々が主宰する日加交流の「カナダ会」等の活動より優先順位が高かったし、一緒に友の会活動に没頭する同志も多く出来た。

 2000年に事務局長を辞した年には、その功績に対し県民功労賞を頂き、県民交流の船の副団長として香港、西安、洛陽、上海を訪れる栄誉もいただいた。その後、友の会では事務局長職を置かず、役員と企画委員会での運営を試みられたが、執行部と会員全員の「要(かなめ)」になる友の会事務局長の不在は、活動にも支障をきたしたと思われる。

 私自身は、後半15年はコーラス同好会のお世話のみで、子供達の生れ故郷であるカナダとの交流の「カナダ会」や、日本の心の歌を歌う「楠公歌の会」の立ち上げに明け暮れて来た。昨年より、請われて副会長に名を連ねてはいるが、前半15年を走り続けた体力も気力も悲しいかな残っていない。ただ今後も大好きな舞子海岸の我が家が、播磨灘に沈む夕日に赤く染り、暮れなずむ淡路、舞子の灯と明石海峡大橋のライトアップが、闇に輝き始める風景を愛でながら、この地で築かれた仲間との絆を大切に歩んでゆきたい。





移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月20日 12:34友の会活動

<行事報告>2013移情閣まつり・月見の会

9月21日(土) 10:00-18:30 於 移情閣庭園・舞子公園芝生広場

 恒例となった移情閣まつりと月見の会、今年は晴天にも恵まれて、終始和やかな雰囲気の中で、企画運営委員を中心としたスタッフのチームワークと出演者の方々の情熱、見に来ていただいた方々の協力のおかげで楽しく無事終えることができました。
 移情閣まつりでは、沖縄・東北物産展やバザーコーナーを設け、友の会と各同好会、中国語講座の紹介パネルを掲示し、孫文記念館を訪れた方に友の会活動のPRを行いました。今年も記念館の訪問者の中には、中国語講座や同好会活動に興味を持たれ入会された方もいらっしゃって、仲間が増えて大変嬉しいく思います。
 
 月見の会においては、愛新翼会長のあいさつのあと、神戸琉球研究会「わんから」三線同好会による演奏でスタートしたステージは、沖縄の島唄や参加者も一緒に手話で「花」のメロティーを歌って踊りました。また、昨年に引き続き、華麗な衣装に包まれたKFC神戸秧歌隊による華彩な踊りは会場を沸かしました。そして、神戸シルバーカレッジのフラダンス同好会の皆さんが癒やしのフラダンスを披露され、会場の人達の心が軽やかになりました。

 後半は、同好会による日頃の練習の成果を披露。二胡同好会メンバーが「花は咲く」「シルクロード」「川のながれのように」「里の秋」」などを演奏。美しいハーモニーは会場を魅了し、アンコールまでありました。そして、太極拳同好会とNPO法人神戸太極拳協会の皆さんによる演武があり、最後は、コーラス同好会が奏でる美しい歌声に聞き入り、張文乃先生のご指導で”浜千鳥””証城寺の狸囃子”などを皆で一緒に歌いました。

 夕日が美しく沈んでいく頃、楽しみのビンゴゲームが始まり、賞品を手にした参加者はみんな本当に素敵な笑顔になって帰路につきました。

来年も、また、お会いしましょう。









移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月19日 12:04友の会活動

孫文記念館(移情閣)で中国語を学ぶ

移情閣友の会企画運営委員(中国語講座) 宮本 博

 2011年4月に退職してから、孫文記念館で中国語と中国文化を習うのが楽しみの一つになりました。65歳から初めて、尼崎から通学して、正味2年になります。明石海峡と明石海峡大橋のある、ロケーションの良い美しい舞子公園の孫文記念館は、学び舎として、最高です。健康にも良いですね。自然と思想と文化の、正に気のスポットでしょう。孫文先生に感謝です。

 建物は、文化財ですし国際的ブランドも高く、あくせくしたところがなく、ゆったりした雰囲気で中国語と中国文化が学べて、とても気に入っております。教師の先生方は、中国の方で日本の博士号を取ったレベルの高い、素晴らしい先生方です。私は少し大陸的な考えで、12年学んで、中国文化と一般的な挨拶と読み書きぐらい出来れば良いなと気楽に思っています。元々語学の苦手な私には、丁度良い丁寧で優しい授業が受けられて嬉しい限りです。
 
 研究クラスのレベルの高い人から、上級、中級、初級、入門クラスのまったくの初心者まで、マイペースで、安心して学べるところが最高です。しかし、レベルが低いわけではありません。せかせかした所がないのです。そして、中国語講座は、老若男女が混在しています。ただ、子供達がいないのが、少し残念です。会話主体の日本人への子供講座は、行政の手助けが必要でしょうね。語学は早く親しむ方が、上達が早いですから。

 最後に、ここで学んだ中国語と中国文化の次のステップアップは、自分たちで考えれば、良いのではないでしょうか。語学に弱い日本人。アジアで最も近くて、文化的にも親戚である中国の言葉を、日本人が重要視する英語の次"に、中国語が来ても何らおかしくないと思ったりします。それは、言葉が国民同士理解し合える道具だからです。基礎を学んで、進歩と発展と活用は、ご自分の手で!例えば、悠久の中国の旅を楽しくするとか、研究班で磨きをかけるとか、資格を取るとか、会話に精出すとか、等々!大学の教授が付いておられます。中国の先生方やボランティアの華僑の方々もおられます。学びたい意欲のある人は、いくらでもご指導を仰げます。チャンスの多い、奥が深い歴史の中の、孫文記念館(移情閣)の中国語講座です。孫文先生のブランドが生きています!!



















移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月17日 12:56中国語講座

移情閣中国文化同好会12月例会&忘年会を終えて

移情閣中国文化同好会12月例会は、さる15日(日)14時30分から移情閣2階講義室にて開催され、15名の会員が参加しました。「ちょっと気になる中国の都市 紹興と南潯」と題して、橘雄三先生(孫文記念館(移情閣)元事務局長、中国文化同好会幹事)による講話を一堂、興味深く聞き入りました。
 
 橘先生は、2年前中国へ旅行された際の様子や風景、旅で感じ取ったこと、紹興酒や中国茶の楽しみ方などについて、写真を見せながらわかりやすく語られました。また、孫文を巡る人々、魯迅故居、魯迅の盟友・蔡元培(初代北京大学学長)、若きい日を革命に捧げた秋瑾鑑湖女侠の話、移情閣に掲げている額を提字された呉芝瑛さんの逸話、参考文献など、実に話題が豊富で、2時間はあっという間に過ぎて、楽しく学ばせていただきました。
 
 その後は、場所を赤坂飯店に移し、美味しい中華料理を舌鼓を打ちながら、会員同士の親睦を深められました。同好会会員が一堂に集まり、至福なひとときを共に過ごせることができて、最高な一日でした。

橘雄三先生のホームページ「中国の友たち」の中に詳しく紹介してあります。
http://www.eonet.ne.jp/~yuzo/kandoseries02s.html

「魯迅故居」に関しては、移情閣友の会顧問の山田敬三先生のホームページも合わせてご覧になられます。
http://www.soul.zaq.jp/yamada36/guli.html










移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月16日 17:58同好会

移情閣コーラス同好会25周年記念コンサートを終えて

 移情閣コーラス同好会25周年記念コンサートを終えて 

 12月8日(日)14時からシーサイドホテル舞子ビラ神戸あじさいホールで開催された移情閣コーラス25周年記念コンサートは、220名を超えるファンが詰めかける中、移情閣コーラス同好会メンバー15名による元気で、美しいハーモニーが会場を魅了しました。その後、場所を3階の須磨の間に移り、祝賀懇親会には、70名ほどの参加があり、移情閣コーラス同好会結成25周年を祝う行事が盛大に行われました。

 コンサートは、「日本と中国の四季を歌う」と題して、国際音楽協会の張文乃先生による指揮、ピアノ伴奏は大西有紀さん。第一部は張文乃先生編曲の「中国の歌曲集」第一集から、春 「生活是這様美好」 夏 「大海口阿故郷」 秋 「阿里山之歌」 冬「 北風吹」など、それぞれにピッタリの曲を同好会メンバーが、きれいな発音で披露しました。続きましては、サクソフォン奏者平田英治さんのゲスト出演による演奏がありました。平田さんのサクソフォンと南川弥生さんのピアノのメロディーがホールに響き、アンコールまで出たほどで、本当に素敵な演奏でした。

 第二部は、日本の四季が歌われました。それぞれの曲名は春 「花」 夏 「浜辺の歌」」 秋 「荒城の月」 冬 「冬景色」。そして、休憩は挟んで、第三部は「中国の歌曲集」第二集よりの四季を歌いました。春 「鈴蘭」 夏 「牧歌」 秋 「在銀色的月光下」 冬「我愛尓寒北的雪」。最後は、唐詩「静夜思」(李白詩)を歌って、それから移情閣友の会会歌「かけはし舞子の移情閣」で締めくくりました。

 17時から開かれた祝賀懇親会の席で、部長の河合純子さんは、感謝の意をこめて開催した記念コンサートならび祝賀懇親会に、大勢の方々が参加して下さったことに、感謝の気持でいっぱいですとあいさつされました。また、四半世紀を楽しく歌い続けて来られたのは、指導者張文乃先生の熱意と家族や周囲の皆さまのご支援による賜物だと述べられました。

 当日、受付ボランティアとして25周年記念CDを完売することが出来て、嬉しかったです。また、国際音楽協会の方々をはじめ、たくさんのボランティアの協力の元でコンサートは成功裡に終えることが出来ました。心から厚く御礼をも申し上げますとともに、皆様に愛されている移情閣友の会の企画運営を関わるものとして、感謝感激の一日でした。












移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月12日 12:24同好会

二胡同好会2013活動報告

二胡同好会は、明るく、楽しく、前向きなメンバーが集まっています。
一曲が完成するまでには、何度も、何度も、繰り返し練習します。 苦難な道乗りですが、鳴尾牧子先生のご指導のもとで、毎月第1・第3日曜日 14:00から17:00まで、シーマックス舞子公園集会所にて練習しています。より美しいハーモニーを奏えられるよう、教えあい、励まし合って頑張っています。
興味のある方は、是非、ご見学にいらしてください。


<2013活動報告>
4月21日(日) 「中国音楽フェすティバル」に出演
9月11日(水) 木下邸 ミニライブ
9月21日(土) 「2013移情閣まつり&月見の会」
10月13日(日)「淡路洲本レトロなまち歩き」路上ライブ
11月9日(土) 「孫文2013 音楽と講演の会」
11月28日(木) 舞子公園木下邸「数寄屋ライブ」にて、「少年時代」「花は咲く」シルクロード」「川のながれのように」「里の秋」などを演奏し、来場者を魅了しました。





移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月09日 12:47同好会

移情閣コーラス「歌で日中つなぎ25年」新聞記事紹介

 「移情閣コーラス25周年記念コンサート」神戸新聞記事紹介 

移情閣コーラス同好会は、2010年中国杭州で開かれた第3回中国音楽国際コンクールで、現地の合唱団を押しのけ、一般の部で金賞に輝いた、素晴らしい実績を誇り、中国の合唱団やオーケストラとの共演したり、コンサートの収益を厨国の震災被害者や砂漠化を防ぐ活動に寄付したり、日中両国の交流促進に貢献しています。

移情閣コーラス同好会メンバーによる元気で、美しいハーモニーに魅了させられる、癒しのひとときをともに過ごしませんか。

ぜひ、お誘い合わせのうえ、ぜひご来場ください。

2013年12月3日付神戸新聞朝刊での紹介じきです。


  「日本と中国の四季を歌う」  

日 時:平成25年12月8日(日) 13:30(開場) 14:00(開演)
場 所:シーサイドホテル 舞子ビラ神戸 あじさいホール

指 揮:   張 文 乃
ピアノ伴奏: 大西 有紀
ゲスト出演: 平田 英治(サクソフォン奏者)

入場料1,000円

お問い合せは、移情閣友の会 090-9865-0239、
移情閣友の会コーラス同好会090-1958-7379 迄



移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2013年12月04日 12:37同好会
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