《王羲之と魯迅の跡を訪ねて》
書法の世界で「書聖」と崇められる王羲之(307?~65?)はその晩年を会稽山陰(現在の浙江省紹興)で過ごし、蘭亭で「曲水流觴」という雅遊を主宰、そのことを記した『蘭亭集序』は行書の模範として人口に膾炙しています。この地はまた国語の教科書で中国の近代作家として唯一その作品が採用されている魯迅(1881~1936)の故郷でもあります。
ここはかつて越国の都であり多くの文人、名士を輩出しています。「呉越同舟」「会稽の恥を雪ぐ」「臥薪嘗胆」などの成語を古典の授業で学ばれた方も多いと思います。この春、私たちは王羲之研究の第一人者である魚住和晃氏(神戸大学名誉教授)と魯迅研究をテーマにしてきた小生の二人が案内者となって、二十数名の方々と紹興を訪れました。
上海から紹興にいたるバス内の三時間は魚住講師による王羲之紹介と山田の魯迅解説の講座。現地ではまず王羲之の故居であった「戒珠講寺」の見学とその周辺にある「王羲之故里」を散策。翌日は魯迅故居や魯迅記念館のある「魯迅故里」を訪問しました。また、故里に隣接する「沈園」を参観しました。後者は南宋きっての詩人陸游がかつての妻と再会、その想いを詩に詠んだ庭園として知られています。
1911年の辛亥革命によって清朝が滅び、中華民国が建国された時には多くの犠牲者が出ました。その一人、日本での留学を終えて大通学堂を開設し、滅満興漢の人材を養成したために処刑された秋瑾女士の故居陳列館にも訪れました。また、越王句践を記念して構築された越王台、越王殿にも足を運び、その夕刻には「老街」として保存されている倉橋直街で紹興独特の白壁と黒柱、瓦屋根の古い町並みを堪能しました。
「南船北馬」といわれるように、紹興には人工のクリークが街中に開鑿され、黒い苫をもった「烏篷船」が交通手段に使われてきました。家々の背後にはその流れが今も水をたたえ、船は九州の柳川にある観光船のように船頭が櫓をこぎながら観光客を運んでいます。魯迅も少年時代にはこの船で数日かけて南京に通い、水師学堂や鉄路学堂で修学しました。
三日目には杭州の西湖で船遊びという行程でした。予定では中国書法の根拠地である西冷印社や魯迅が日本から帰国して最初に勤務した杭州師範学堂(現在の杭州第一中学)、数奇な伝説に由来する雷峰塔などを訪れるはずでしたが、それでは帰国便に間に合わない恐れが出たため、上海までバスを急がせました。次回には孔子の故郷である山東省の曲阜や、王羲之の出生地である臨沂を訪れたいと思っています。(移情閣友の会 顧問 山田 敬三)
備考:魚住和晃『書聖 王羲之』(岩波書店) 山田敬三『魯迅の世界』『魯迅 自覚なき実存』(いずれも大修館書店、中国訳本は山東人民出版社『魯迅世界』、北京大学出版社『魯迅 無意識的存在主義』)
移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at
2017年05月19日 15:36
│友の会交流広場
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