移情閣友の会

<辛亥革命100周年 日中友好秘話 孫文と梅屋庄吉>

移情閣(孫文記念館)友の会企画運営委員長 佐瀬 祥一


孫文は中国、台湾そして日本を繋ぐ象徴的な存在です。

講演中の小坂文乃氏
講演中の小坂文乃氏
 辛亥革命100周年の本年の“孫文2011”講演会(友の会主催)には「盟約」を結び孫文を生涯にわたり支援した梅屋庄吉の曾孫の小坂文乃氏を講師にお招きし、<辛亥革命100周年 日中友好秘話 孫文と梅屋庄吉>というタイトルで講演して頂きました。

 講演では、孫文を物心両面から支援した梅屋庄吉について、貴重な資料(梅屋庄吉の日記、メモ類、写真等)とともにいろいろなエピソード、梅屋庄吉の人となり、人生観・思想、孫文支援について紹介していただきました。とくに梅屋庄吉の人生観・生き方については、梅屋を曽祖父に持つ親族ならではの生き生きとした熱い語り方で、その実像を感じさせ、書物からでは得られないような感動を与えられました。



 梅屋庄吉は長崎の貿易商の息子、10歳の時にすでに帽子をかぶり洋靴をはき洋傘をもって写真を撮ったりしている。写真館の写真技師は竜馬の写真を撮った上野彦馬。庄吉はお祭りのとき近所迷惑なやくざと喧嘩したりするほど正義感が強かった。また5歳の時近くを流れる中島川に落ちて溺れ死にかけながら、葬式の時に息を吹き返したという生命力の強さを持っていた。同時に慈悲深い心の持主でもあった。自分の家は裕福であったが、貧しい地区に住んでいる人を見るとなんで近くに貧しい人たちがいるのだということを思い、家のお金を持ち出して配り歩いたともいう。

 冒険心が旺盛で14歳の時に上海に渡る。当時長崎の人は中国の人をあちゃさんと呼んで尊敬、親しんでいた。ところが上海で庄吉少年は、中国人が欧米人に人間の尊厳さも与えられず、人間以下の扱いを受けている様をつぶさに目にして仰天する。
 また、アジアの諸国を放浪し広く足跡を残している。この放浪によりアジアには多くの国があり、民族・生活習慣が異なる人々が生活していることを知り、一口にアジアといってもいろんな人がいることを肌身で体験した。
 この時の経験は「東洋の平和」を理想とする考えを持つにいたる程に大きな影響を与え、後の梅屋を形成するもととなり、孫文に出会い支援していくことになる。アジアは欧米帝国主義から解放され、アジア人により自ら治められるべし、東洋の平和が梅屋の理想となった。(中国だけでなく、フイリッピンの革命も支援している。)
 一方孫文は13歳の時に当時ハワイで成功していた兄を頼り渡航して、かの地で西洋の教育を受けている。

孫文と梅屋庄吉
孫文と梅屋庄吉
孫文夫妻とトク 孫文と梅屋夫妻

 孫文と梅屋の共通点は、それぞれ13歳、14歳の非常に若く多感な時に自分の国を離れて他国の文化に接し、外から自分の国を見る経験をしたことにより、世界を見る視野が大きく広かったことだ。
 1895年香港で写真館をやっていた時に顧客であったジェームズ・カントリーを通じて梅屋は孫文に出会う。お互い10代での体験により形成された思いがぶつかりあったものだった。(ジェームズ・カントリーは孫文が学んだ医学校の恩師で、ロンドンで孫文が清国公使館に監禁されたときに助けた人である。)

 孫文と梅屋は会うとすぐに意気投合し、盟約を交わす。
「中日の親善、東洋の興隆将又人類の平等について全く所見を同じうし、殊に之が実現の道程として、先ず大中華の革命を遂行せんとする先生の雄図と熱誠は、甚だしく我が壮心を感激せしめ一午の誼に固く将来を契ふに至る。」
孫文と梅屋との盟約とは、“君は兵を挙げたまえ、我は財を挙げて支援す”である。


 孫文が広州蜂起に失敗した後も、興中会に資金援助を続けていた梅屋は密告により清朝が香港政庁に引き渡しを要求したため、香港の写真館をそのままにしてシンガポールに逃げている。
そのシンガポールで、映画に出会い、その映画で大成功し大きな財を成す。そして儲けたお金を革命運動の支援に充てた。また、あらゆる人(多くの中国の革命家、日本人たち)と親交があり支援し、人間的なつながりを築いた。
「盟約」により孫文を支援した梅屋庄吉は、表舞台で華々しく活躍するタイプではなく、舞台裏から支えるタイプだった。「我中国革命ニ関シテナセルハ 孫文トノ盟約ニテ成セルナリ。 コレニ関スル日記、手紙ナド一切口外シテハナラズ」と亡くなる時に言い残している。このためその功績・存在が長い間殆ど知られないまま日本の近代史の底に埋もれていた。

辛亥革命写真
 飛行訓練
 
梅屋庄吉は辛亥革命そのものの映像を撮影している。辛亥革命が起こったとき孫文はアメリカにいた。梅屋は孫文に辛亥革命の現場を見せるために武漢に撮影隊を送り写真を撮った。武器が必要な時は調達した。また飛行機の要求が孫文よりあり志士を集め飛行訓練を行った。


孫文銅像と贈呈書を読み上げる梅屋
 梅屋は孫文亡き後その偉業を後世に伝えたいと銅像を中国に送ることを決意。4体製作し中国に贈った。(その製作に娘の結婚費用を当てた。)そして折しも民族運動が高まるまる中、高さ3.6メータ、重さ7トンもある像を中国4ヶ所に贈り盛大に贈呈式を行った。中国にはトク夫人ともども和服で出かけて、どこでも大歓迎を受けたという。





 孫文の思想の中核は「天下為公」即ち人間みな同じ=自由、平等、博愛=にあり、梅屋庄吉は「アジアの平和」である。今この二人の偉人の熱き思いを改めて認識させられました。

黄捕軍官学校の集合写真

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Posted by 移情閣友の会 at 2012年02月24日 13:53移情閣だより
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