移情閣友の会

孫文生誕150周年記念国際シンポジウム閉会の挨拶

孫文生誕150周年記念国際シンポジウム閉会の挨拶  陳來幸

共催団体の一つである神戸華僑華人研究会を代表して簡単に閉幕の挨拶をさせていただきます。わたくしは昨日のお二人の先生の基調講演とその後の総合討論の内容に深い感銘を受けました。ここではもう一度、ここ神戸の地で孫文生誕と辛亥革命を記念する国際会議を開催することの意義について振り返って考えておきたいと思います。
桑兵先生は講演の後半部分で、最近アメリカ中心に台頭してきた新清史学派の見解を批判し、清朝末期満州人が漢人の地に根を下ろした「本土化(ローカリゼーション/満漢文化の融合)」の問題を提起し、その重要性に言及されました。そして、総合討論に際して狭間先生(元孫文記念館館長)は孫文記念館の現在の愛新翼館長が、偶然にも革命の打倒対象であった満人の末裔であると紹介されました。愛新館長の御父君金毓本教授は康熙帝直系7代の子孫です。1943年頃に日本に派遣され、国立大阪外国語大学(現大阪大学外国語学部)の前身である大阪外国語学校に赴任して中国語教師となり、一族は大阪に根を下ろしました。つまり、当時の日本政府は正統な北方中国語を話す満人を日本に招聘し、国立大学の漢語教師として中国文化と言語の伝承・指南役を期待したのです。愛新館長ご一家兄弟姉妹たちがその後の華僑社会で中華民族の民族主義を体現する役割を十二分に果たしたことは、誰もが認めるところです。愛新館長は私の母校である神戸中華同文学校で長年校長を務め、お兄さんの一人は大阪の北方公所の理事長を務め、大阪華僑総会の会長の任にも充たりました。それ故に、愛新館長が孫文記念館館長であることは、私にとってはまったく「偶然」で意外なことではありません。満人が完全に神戸の漢人華僑社会に溶け込み、リーダーとして認められた存在となったのです。つまり、孫文が最終的に受け入れた「五族共和」。その精神を神戸の華僑社会は受け継ぎ、歴史の証人として地でゆく実践をしてきたのです。
孫文は神戸で長期に居住したことがないにも関わらず、神戸には日本で唯一の孫文記念館が存在しています。舞子の孫文記念館は、もう一つの神戸社会の特色を説明する格好の歴史的産物です。移情閣の主人(浙江省)寧波人呉錦堂は20世紀初頭に最も成功した華商の一人で、呉の成功は現地神戸の経済界と華商との共存関係がもたらしたものです。かつてはマッチや紡織品等を日本人が製造し、華商が輸出しました。お互いにウィンウィン関係性にあった故のことです。爾来、華僑社会は兵庫県や神戸市とは良好な関係を築いてきました。その関係性の結晶こそが今日の孫文記念館なのです。現在我々の記念館の日常の活動と研究活動は兵庫県財政に依拠するばかりでなく、地元経済界の篤志者の寄付からなる賛助会によって支えられています。純粋な意味での大アジア主義は、このように、神戸というこの地にすでに平和的に発展してゆくための礎が築かれていると考えます。 
村田雄一郎教授は、ポスト孫文時代の大アジア主義を取り上げ、「大胆にも」汪精衛についても一定の評価を与えました。また、孫文、戴季陶、蒋介石などの政界人物の日本観と日本評価について言及し、かれらは基本的には「日本が好きだった」とおっしゃられました。私はこの評価を聞き、とても嬉しく思い、かつ将来に向けても楽観的な気持ちになりました。このような村田教授の言い分に対して、現在中国の学界に身を置く人たちはどのような考えをお持ちなのでしょうか。このことについて私はとても興味があります。記念的行事の一環として大規模な国際会議を準備し、運営してゆくことは多大な努力と時間を要します。しかしながら、そういう意味で、海外の学者を招いて対話の場を設けることはやはりとても重要なことなのだということを、今回お二人の基調講演を拝聴して、その思いを強くしました。
最後に実働部隊として裏方で活躍して下さった若手研究者の皆さんと学生スタッフの皆さんに心からの感謝の気持ちを伝え、挨拶のことばを締めくくりたいと思います。皆さん、ありがとうございました。

2016年11月27日 
神戸華僑華人研究会世話人代表
兵庫県立大学経済学部
陳 來 幸  

移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2016年12月21日 15:27
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