移情閣友の会

南方熊楠ゆかりの地訪問記 ―熊楠と孫文―

                                 中国文化同好会 橘 雄三 記

ゴールデンウイーク前の一日、紀伊田辺の「南方熊楠邸」と、隣接する「南方熊楠顕彰館」、そして、熊楠・孫文再会の地、和歌の浦へ行ってきました。このことに関連し報告いたします。
 南方熊楠(みなかた・くまぐす 1867~1941)は和歌山城下に金物商の二男として生まれました。中学卒業後、上京し、やがて、東京大学予備門に入学しますが、学業そっちのけで遺跡発掘や菌類の標本採集に明け暮れます。中途退学し、帰郷。1886年暮、渡米します。
 広辞苑には、「民俗学者・博物学者。南北アメリカに遊学、1892年渡英、大英博物館東洋調査部員。粘菌を研究し、諸外国語・民俗学・考古学に精通」と記述されています。
 熊楠は生涯、生業を持たず、したいことだけをして生きた人です。14年に及ぶ米・英遊学の費用、死ぬまでの25年間住んだ紀伊田辺の居宅購入資金等々、全て親兄弟持ちでした。金物商を営んでいた父親は商才があったようで、蓄財し、やがて酒造業を興し成功させています。父の死後、熊楠の弟が家業を継ぎ、代を重ね、今も(株)世界一統という社名で健在です。ここで、大吟醸「熊楠」を味わうのも一興でしょう。
 ところで、熊楠と孫文(1866~1925)の軌跡は1897年、ロンドンで交わります。孫文は1895年の広州蜂起失敗のあと、清国政府から懸賞金がかけられ、日本を経て米・英に亡命しますが、1896年、ロンドンで清国公使館に捕えられます。香港の医科大学時代の恩師、カントリー博士の助力で救われたあと、少なくとも68回、大英博物館に通ったといわれておりますが、ここで、熊楠と出会います。そして四年後、二人は和歌の浦の「芦辺屋(阿しべや)」で再会します。今は跡地に案内板があるだけですが、孫文の旅の疲れを癒したであろう景観はそのままです。
 二人の出会い、並びに再会の詳細については、2006年、孫文記念館で開催された特別展「孫文と南方熊楠-海外にて知音と逢う-」の図録を参照ください。
 11月に友の会行事、「南方熊楠記念館・顕彰館見学バスツアー」が実施されると聞いております。私の報告が予備知識となれば幸いです。

南方熊楠ゆかりの地訪問記 ―熊楠と孫文―
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Posted by 移情閣友の会 at 2018年05月14日 13:11友の会交流広場
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