移情閣友の会

台湾交流の旅2019を終えて


移情閣(孫文記念館)友の会35周年記念 台湾交流の旅 感想文

中国文化同好会 金川幾久世(かながわ きくよ)

 台南・高雄方面にも行きたいと、予てより友の会の重鎮の方々に申し上げ続けた甲斐があってか、この度、ツアーの一員として、総勢34名の中に加えて頂くことができました。うち、友の会会員は14名ほどで、大半が国際音楽協会音楽関係の方々だと知ったのは、関空集合時です。
 4月12日(金)~15日(月)の三泊四日の日程で、台南・高雄・台北の台湾三大都市を巡るという強行軍。だからでしょうか、朝食開始時間の繰り上げが、ホテル側の担当者に伝わっていなかったり、高雄・台北間の新幹線乗車切符が人数分届いていなかったり、コンサート会場の状況が不明だったり等々、直前での様々な変更や不測の事態に遭遇しましたが、皆さんがよく協力して、何事も無かったかのように、その都度、上手く楽しく乗り越えました。コンサート終了直後、バスに移動する道すがら、「どんな状況やリクエストにも即座に対応される皆さんは、本当に素晴らしいですね。感動しました。」と私が申し上げると、張文乃先生は「何も特別なことではなく、普段から練習を積んでいるから、変更があっても臨機応変に対応できるの。レパートリーも300曲ぐらいはあるかしら。当たり前のことよ。」と事も無げに仰います。備え有れば憂え無し。日々の鍛錬の賜物なのだと拝察します。
 台湾も日本式市民マラソンが盛んで、日没後、大会が開催され、完走のためのボランティアの応援や補助活動を沿道から眺める機会に恵まれました。親日家が多く、カタコトでも日本語が話せるのをアピールしたいからでしょうか、宿泊ホテルに戻る僅かな時間にも、積極的に誇らしげに話し掛けられます。確かに、台湾の方々が日本文化や日本語に敬意や憧憬の念を払ってくださるのは、非常にありがたいことです。しかし、この親日的・友好的な態度に甘えず、時々は外から意識的に日本文化や自分自身を見つめ直す必要があると思うのですが、如何でしょう?更に、日本や日本語を客観的に見る契機にしてみませんか?
 言語は伝達道具(ツール)に過ぎず、伝達内容や中身の方が大切なのですから、尊敬され、手本となるに値するよう、私達一人一人が、常に自己の内面や言動を磨き、高める必要があります。同時に、日本で生まれ育った者として、日本の伝統文化や日本語に対する自尊感情を高め、後世に伝えることも必要です。英語や中国語などの言語を表面的に学ぶのではなく、互いの文化的背景を理解尊重してこそ、心と心の、真の交流ができると考えます。
 ところが、コンサートを拝聴しているうちに、音楽は人の心を和ませ、通わせられる共通の言語だと気づいたのです。戦前の日本教育を受けた台湾の高齢の方々が、「ふるさと」や「仰げば尊し」を日本語で唱和され、涙されるのを目の当たりにして、胸が熱くなりました。加えて、中国語歌の「阿里山的姑娘(アリシャン ディ クーニャン)」をコーラス部の方々が合唱されると、居合わせた老若男女も一緒に歌われ、会場は大いに盛り上がりました。
 繰り返しになりますが、こうした親日的・友好的対応に甘えて、喜んでばかりはいられません。台湾では名高い許天龍氏も、日本での知名度は極めて低いのです。三泊四日の旅では、やはり「(走る馬から花見をする)」のようなもの。私は大雑把に粗略に見て、浅薄な解釈をしただけです。表面的な台湾理解に過ぎません。台湾も中国文化も奥深く、一生懸けても究められないでしょうが、次回は、ゆっくり交流したいと願っています。と書いて、大きな「忘れ物」をしたような気分に襲われます。否、「心」自体を置き忘れたのかもしれません。私達が忘れてしまった懐かしい昭和の雰囲気の町並み、温かな人情…。それらを取り戻すために、「心」を置いてきた台南や高雄に、里帰りしたくなりました。
                         
加 茂 建 二

 今回の台湾旅行で私自身スッキリしないまま関空に到着したことが三つあった。一つ目は台南のLADY MAMA、二つ目は忠烈祠に入る前の異常なほどに感じた寒気、三つ目が“走味咖啡”。それ以外は大満足。特に真新しい奇美博物館では、会場といい、出演者のパフォーマンスといい、その感動的な結末といい最高のライブだった。
 一つ目と三つ目は補足しないと何のことやらわからない。LADY MAMA、以前友人からお土産に頂いた“枫糖夏威夷豆塔”がいたく気に入って今回買い求めたいと思っていた。台南では店がホテルから離れていたため諦め、三日目の免税店では「扱っていない」と袖にされ、空港では探す時間がなかった。
 三つ目の“走味咖啡”は平溪で見かけた看板。後藤さんに聞いてもらったら、店員さんが持ってきた携帯の歌がどこかで聞いたことがあるような演歌っぽい歌。どんなコーヒーかわからぬまま。帰国後二週間いろいろ調べた結果、二つ目以外はハッキリした。LADY MAMAとはFcebookで連絡が取れた。三つ目のあの時聞いた歌を見つけた!失恋の歌で“走味”には“気の抜けた”という意味があるようだ。失恋した人が飲みに行く?このユーモア感覚は日本にはないなぁ、と感じた。三つ目はどうやら心の問題(曰く、言い難し)で、例えば、音楽で癒すしかないのかもしれない。    

濱嵜 繁一

 この度は、移情閣友の会の皆様方とご一緒に【訪華交流演奏の旅】に参加させて頂き、心から感謝申し上げます。私も会員ではございますが、お会いする機会が少ないので、ご一緒に美味しいお料理を頂きながら、いろいろなお話をさせて頂き、本当に思い出に残る楽しい時を過ごさせて頂きました。今回、日本の民族楽器である《よし笛》と歌で、日本の懐かしい童謡を演奏させて頂きました。日台友好架け橋のほんの一端でも担えたのでしたらとても幸せに存じます。
 最後になりましたが、林同福会長、後藤企画運営委員長、周 月娥企画運営員、陸超中華民国留日台湾華僑総会会長はじめ、皆様方に大変お世話になりましたこと、深くお礼申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願い申し上げます。

移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2019年05月04日 18:28友の会交流広場

孫文記念館を見学して





        友の会会員 神戸市シルバーカレッジ 中国文化同好会 松井英男

 我々神戸市シルバーカレッジ中国文化同好会は、中国滞在経験者や中国に興味を持っているものなどが集まって、中国語の学習や中国ゆかりの場所、施設を訪問、また中国へ研修旅行に行ったりして中国の文化、歴史など理解を深めています。
 この度、同じシルバーカレジの先輩たちで孫文を研究されている「とよつねさん」グループの磯松淑恵さんに、移情閣(孫文記念館)友の会後藤みなみ企画運営委員長を紹介していただき、我々同好会会員など19名が、3月28日に孫文記念館を訪問、見学させていただきました。
 我々は神戸に住んでいながら孫文と神戸の関わりについて正しく理解しておりませんでしたが、当日は移情閣友の会企画運営副委員長であり、舞子公園ボランティアガイドの齋木賢一様に、移情閣の歴史と共に孫文記念館が日本で唯一の施設であることや孫文自身のこと、孫文と神戸の関わり、神戸で孫文を支えた中国人、日本人などについて長時間にわたり詳しく解説していただきました。 同好会会員一同、孫文と神戸の関わりについて理解を深めることができ、大変有意義な時間をすごすことができました。 本当にありがとうございました。

事務局より
 会員の磯松淑惠さんのご紹介で神戸市シルバーカレッジ 中国文化同好会ご一行様を孫文記念館にご案内いたしました。このご縁で同フループより3名が移情閣(孫文記念館)友の会に新規入会されたこと、心より感謝申し上げます。このように会員が孫文記念館、移情閣(孫文記念館)友の会を支える活動を今後も広めていけたらいいなと思います。何卒、よろしくお願いいたします。(後藤 みなみ)



移情閣,孫文,記念館
Posted by 移情閣友の会 at 2019年05月02日 14:04友の会交流広場
< 2019年05>
S M T W T F S
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  
最近のコメント
QRコード
QRCODE
読者登録
メールアドレスを入力して登録する事で、このブログの新着エントリーをメールでお届けいたします。解除は→こちら
現在の読者数 7人